新宿御苑の森ガール

東京の荒波にもまれる社会人一年目。自称森ガールの日々の葛藤

「主体性」とは何か?

この2ヶ月の頑張りは無駄だった気もするし、でも「主体性」が何かということに気づけたという結果から見れば革命的な成長だったとも思う。

入社して1ヶ月後くらいから「主体的に動く」とはどういうことなのかというのが、妙に気になり始めた。ベンチャーだから主体性を持って仕事をしなくてはならないと頭で分かってはいたし、まだ仕事ができない自分でも主体的に動くことを求められているとは思っていた。

でも、主体的に動くとは一体何なのか。何をどうすればいいのか。

この答えを明確に教えてくれる人はいなかった。

 

この世の多くの人が主体的に動くことは良いことだと思っているとしたら、主体性を持った人であふれかえっているはずだ。でも現実にはそうでないように見える。

今はずいぶん慣れてきたが、社会人に成り立ての頃は、会社という場所の異様な雰囲気と、抜け殻みたいな人たちの多さに、恐怖と不安で泣きそうになった。

そんな現実は、主体性を持ちたいと思う自分にとって、理想とはかけ離れたところにある様な気がした。

学生の時に当たり前のように持っていた主体性が、社会に出ることによってそぎ落とされていくのだとしたら、私の居場所はどこにあるのだろうかと思い悩んだりもした。

 

主体性というのは便利な言葉だ。

組織が上手くまわらないときに、「個人の主体性がないからだ」と、仕組みが悪いのではなく、個人の実力不足にしてしまうことができたり、「これからはもっと主体的に動こうと思います」というと、なんだかやる気のある意気込みを伝えた気分になったりする。

つまり、「主体性」という曖昧な言葉を使うことで、解決すべき本質的な問題から目を背けているのではないかということだ。

 

そんなことを考えながら、私は与えられた仕事を試行錯誤しながら自分で工夫し、それなりに全力で努力し、目標を達成しようとしていた。自分なりには、主体性をある程度発揮していると思い込んでいた。仕事の内容はここで詳しく伝える事はできないのだが、私に与えられたノルマはそれなりにきつかったし、それを自分で工夫しながら達成しているという充実感を少しは感じていた。

しかし、それも限界がきていた。ある程度工夫をすると、工夫の限界が来る。そして、工夫の限界が来ると、面白くなくなり、モチベーションの限界が来る。今まで達成できていた目標が達成できなくなり、そんな自分を責め、努力が足りないと自分を奮い立たせる。そんな日々が続くと、気分が落ち込み、自分はなんて無意味なことをしているんだろうとか考え始める。しかし、考えれば考えるほど自分の努力が足りないんだと、湧き出たSOSを封印してしまう。

 

そんな生活を続けていたある日、目標を達成できず、暗い気持ちで家に帰る途中、満員電車でボロボロと涙があふれてきた。そうしてようやく私は、このままではいけないと思った。この2ヶ月はとても長いような気がするけど、でも私にとっては必要な2ヶ月だった。主体性とは何かについて気づく機会を会社が与えてくれたのかも知れない。

 

私は自分の限界が来てはじめて、「自分を取り巻く環境を変えよう」と思い立ったのだ。

「自分で工夫し、行動する」主体性から、「自分が頑張れる環境を他人の協力を得ながら自分の手で創り出す」主体性へのステップアップだった。

革命的な気づきだった。

今まで主体性は、自己の中で完結できることだと思っていたから。

 

私が現時点で思う「主体性」は全部で3ステップある。

 

ステップ1:自分で工夫し、行動する(自己完結型主体性)

ステップ2:自分が最も価値を見いだせる環境を自分の手で作りあげていく(他人を巻き込み、自分の環境を変えていく主体性)

ステップ3:自分と他人がそれぞれの良さを活かしながら成長できる環境をつくる(他人と関係を築きながら組織を変えていく主体性)

 

ステップ1からステップ2への成長は、他人を巻き込むという点で大きな壁がある。

そして、ステップ2からステップ3への成長も、自分中心から、他人や組織といった視野の拡大が求められるという点で、とても大きな変化である。

 

現時点で私は、ステップ2やステップ3があるということに気づいたに過ぎないが、1年後にはステップ3の「他人と関係を築きながら組織を変えていく主体性」を発揮できるような人になりたいと思う。